1513 レプティリアン≒サイコパス≒禽獣的自由の追求者(ヴォルテール/秘密結社)

ネットによれば,
エリザベス女王はレプティリアン(爬虫類人間)だ
なんて,真面目に論じている人がいたり(書籍まで書いている),
それを大いに支持するネット民もそれなりにいいます。

ただ,こればかりは,「それはないやろ!」と思い,
私はその関連動画だけはこれまで見ていませんでした。

ただ,最近ベンジャミン・フルフォードさんの説明に至極納得がいきました。

    ただ彼も,飛ばしネタが多く,まさかと思うのもままありますが,
    1,2年前の過去の動画を,今の視点で見ると,
    大きな方向については大いに当たっているように思います。

    オバマからトランプに変わったことで,
    今や信じられない大きな変化が起こっていますが,
    それを彼はいち早く予告していました。
    悪名高きジャパンハンドラーズのアーミテージ,マイケル・グリーンバーグ,ジョセフ・ナイ等は,今や失脚しています。

    911の自作自演説も,彼が日本で真っ先に紹介しました。
    当時テレビではさんざんにこき下ろされていましたが
    今では,実に多くの方が,自作自演説を信じています。

彼曰く,レプティリアンとは,比喩です。
極めて自己中心的な野獣的考え方の持ち主のことです。
幼児性愛とか,戦争で儲けるエリート層とかのこと
です。

人間の脳みその中には最も基本的で根源的な,
いわば生物の生の本能を掌る動物的な脳みそも残っているそうですが,
そうした爬虫類にもある基本的な脳みそばかりがやたらに大きく発達した人間
それを比喩的に表現したというものらしいです。


【サイコパスとほぼ同じ?】
レプティリアンは馬鹿げていると思っても,
「サイコパスは居るよね」という方は,大勢います。
この言葉は,人口に膾炙されています。

サイコパスは,エリートにも結構居ると言われる,
人の気持ちが分からず,ただ理屈等で押し切れる人間のことです。

私ら弁護士のほか,
外科医,公務員,銀行員とかは,多かれ少なかれその傾向があるでしょうか?

サイコパスが余りにも酷くなると,前記比喩としてのレプティリアンだといってもよいかもしれません。


【秘密結社員で,禽獣的自由を求める人々】
1776年に秘密結社を作った人々は,
なんと,絶対的な自由としての禽獣的自由を貫こうとしていたことが
今や文献で次々に明らかになっています。

彼らは,国家や国境を否定し,伝統的宗教を全否定し,
かつ父権も否定して,動物と同じような自由を求めるのです。
昔の文献では古い言い方なので『禽獣的自由』と言っています。

    彼らの文献では,はっきりとはいわないまでも,
    国家や宗教,そして父権を否定するというのは,
    まさに女性や子どもを保護してくれるような存在を悉く否定する意味だと思います。

    そして,その女性や子どもには,平等だよ,自由だよときれい事を植え付けるのです。

    するとどうなるか。
    お金持ちとか力の強いものが,女性や子どもを好きにできる体制ができあがる
    というわけです。
    と,こう私は思います。

1776年に出来た秘密結社は,ひたすら
「太古の人間は,自由気ままであり,好き勝手に暮らしていたのだ」
として,それを酷く懐かしがり,それを理想の中核に据えます。
その上で,国家体制や宗教道徳,父親の権限等がそれを否定してきたと言いがかりを付けて,これらを排撃するのです。

彼らが使う「道徳」とは宗教道徳や学校で習う道徳等ではありません。むしろそれを壊したがっています。
彼らにとっての道徳とは,禽獣的な絶対自由を大事にすることです。

世界の国家体制や宗教,そして父親の権限までも否定できれば,世界は彼らの手中に収まるというものらしいです。
それが1776年ころから始まっているということです。

その後の世界の惨劇は,目を覆うものもかなりありました。
→後注)

    禽獣的自由について,
    歴史の教科書等にも出てくるヴォルテールは,
    かのルソーとも交流があったほか,
    「四つ足ではなく,二足歩行になったのが失敗だった」と真顔でいい,
    「好きなメスのニワトリにふられても,別のメスのニワトリのところに行けばよいし,私なら,メスのニワトリ達の中に入って慰めて貰う」
    などと,仮に比喩だとしても実におかしなことを言われます。

    このような言い振りは,例の光市母子殺人事件の被告人(死刑判決)が友人に宛てた手紙(=日本中を激怒させた)の内容を連想させます。
    「オス犬は,可愛いメス犬を見つけたら犯すだろ(そのメス犬や子犬を殺してでも?)」

    もちろん,彼が本当に牛や豚の様な四つ足動物になりたいとか,ニワトリになりたいとかではないのは明白です。
    そうではなく,人間が,国家や宗教や家族・父権という,彼に言わせれば厄介な制約やしがらみが許せず,あたかも動物のようにそれらから解放されたいという比喩のはずです。

    やはりとち狂っているとしか思えません。


【まとめ】
こうしてみてくると,
レプティリアンも,サイコパスも,そして
禽獣的自由を求める輩(秘密結社の党員達)も,
実は皆 同じ人達のことを指しているのかもしれません。

    後注)
    このブログを書いた翌日の三橋貴明さんの番組によれば,
    国民に愛されたカダフィー暗殺後のリビアは,まさに「自由」なのだそうです。
    つまり,今ではほとんど「奴隷交易」まで行われているそうです。

    自由主義のなれの果てです。

    カダフィーが倒されて,中央銀行が真っ先に民営化されたそうです。

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