1411 「加計ありき」か「加計あればこそ」か/規制の前では(応募がなく,10年越しは)加計しかなかった

「加計ありき」か,「加計ありき」ではなかったか
がやたら国会で飛び交っていますが,
しかし,事実としては,まあ,加計しかなかったのでしょう。

違法であるとはいえ,門前ばらいばかりの厳しい行政の規制(違法な告示)の下で,
そもそも申請する学校法人等はなかったというのは,事実なのでしょう。→後注)

    例えば,大いに議論されていた論点について
    一度最高裁が正式判断して,「判例法理」が作られた時
    一気にその種の訴訟はなくなります。

    判例変更を求めてでも,この理論に反する理屈を立てて提訴する弁護士は殆どいません。
    依頼者に強くお願いされても,
    「最高裁判決が出たから,もう無理だと思うよ」と言ってお断りします。
    でないと,依頼者に高額な訴訟費用を負担させて,結局けんもほろろの棄却判決があっさり出されると,依頼者に気の毒だからです。

    同様に,大学用地の確保や校舎建設等を含む莫大な準備が,新校設立の申請に必要だというのに,門前払いばかりでは,応募する学校法人が激減することは疑いがないことです。
    先の弁護依頼の何千倍ものお金が無駄になるはずです。


【10年越しの申請は加計しかなかった】
つまり,先の確立された最高裁の法理に挑んででも訴訟を提起する人は極めて少ないように,文科省の違法な告示が厳然としてある中,申請する奇特な人は加計しかなかった。
10年越しで15回の却下をされてもなお,申請を諦めなかったのは加計だけだった。

なお,京産大等も応募したではないかと言われるかもしれないが,
それは,特区によってようやく風穴が空くかもと思われた時期の申請です。
そんな段階では,当然あり得るでしょう。

    最高裁の例でも,一旦確立された判例法理といえども
    判例変更するかも知れないとの兆しというが出てくる時機があります。
    従来の最高裁判例の時代背景が極端に異なってきており,
    従来の最高裁判例法理を,少しずつ修正シフトして,要は補正を重ねているような場合です。
    時代の変化が大きい時,判例変更を期待出来る時は,
    それを目指して敢えてチャレンジする人は,それなりに出てくるでしょう。

    しかし平穏時には,提訴者は出てこないのです。


【これに申請の熟度が重なる】
こうして,ずっと加計以外には申請者がいない状態が続く中,
15回も決して諦めない加計ですから,
愛媛県にとっても,加計が頼りであり,加計しかない。
もっと言えば,「加計あればこそ」でしょう。

そうした中,行政は,申請に対して補正の要請するわけで,
申請が繰り返されればられるほど,申請の内容が進化・深化してすぐれたものになっていく。


【行政は,申請同士では機械的順序を護ろうとする】
しかも行政庁には,申請の処理は機械的順番に従うという原則もある。
(裁判所も基本は一緒)
特に内容に変わりが無い時には,先に申請した方から通していく。


【まとめ】
以上の各点や,申請の経緯順序,申請の熟度からして,
加計しかなかったことは明白です。

それを,悪くとれば「加計ありき」と見えるだけ

加計ありきではなく,加計あればこそ,でした。


    後注)
    例えば,人でも動物でも,意地悪くいじめれば
    向きになって,反撃してくることはあります。

    その反撃を捉えて,そのいじめの被害者は悪いヤツだという言いぐさは公平ではありません。

    行政が間違っていればこそ,
    何とかして突破口を開こうとしたり,仮に無理に見える態度があったとして
    そもそも何が悪いのか,という感じです。

    責められるべきは文科省であり,
    さっさと解体するか,四国に移転すべきだ。
    (そしたら,職員手当分だけで年16億円ほど浮く)

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