1291 横田喜三郎の珍説「平和に対する罪は罪刑法定主義に反しない。」

横田喜三郎という方は,最高裁長官にまでなられたお方ですが,
およそ法律家とは思えないっていうか,ちょっとビックリしました。

東京裁判に関して,平和に対する罪が,
罪刑法定主義に反しないとする珍説の力説振りには,さすがに驚きました。

法学部の刑事科目で,学生がこのような答案を書いたら,
恐らく「不可」(落第)点が付くのではないか。
(沢山書いたので「可」としてくれるかも)

彼の著書引用:
横田喜三郎「平和に対する罪と罪刑法定主義」

戦争直後,憲法施行直後に昭和22年7月20日には,この「戦争犯罪論」の本が出ているが,よくもまあと,逆に感心するほどです。

最高裁長官が,この程度のことを真顔で書くとは,驚きです。


【罰の規定はなくとも「罪は前からあった」は,スゴイ論法】
一つだけあげると,
「平和に対する罪」等について,
「たしかに元々罰に対する規定はなかったが,罪は昔からあった。
だから,罪刑法定主義に反しない」

こんな論法は,30年以上法律を勉強している中初めて聞きました。
開いた口が塞がらないというのは,このことです。

罪刑法定主義とは,そもそも処罰の前提として,
予め「罪」と「罰」が共に法律等で制定されている必要があるとする建前のことです。

話を進めるために,今回のみ,この点をひとまずおきましょう。
しかし罪が昔からあれば,いいんですか?
スゴイ理屈ですね

    余り良い例ではないのですが,
    確かに,セクハラは,言葉ができる前から,言ってみれば太古の昔から悪いことです。
    勿論,どんなレベルのセクハラでも民事訴訟はできるでしょう。
    (例えば,エロ動画を女性に社内メールで送ったりとか。)

    でも,犯罪になるか否か,刑務所に入ったり,死刑になったりするか否かは別です。
    強姦や強制わいせつという刑事の規定に反すれば厳しい刑罰を課せられる。
    でも,セクハラにはピンからキリまである中,処罰規定がないのに罰する訳にはいきません。

    早い話,悪いというのであれば,利子を取るのだって悪いじゃないですか。
    そして少なくとも一定以上の利率をとった場合については,出資法による罰則が明記されている。
    ならば出資法以下の利息をとった場合でも,ブタバコ行きですか?
    悪いといえば,悪いことですよね。
    (少なくとも民法上違法とされれば,過払金返還請求という民事訴訟ができますので,悪いことですよね)

    でもそれって,刑法理論からはまったくオカシイことなのです。

ここまでおかしなことを言う法律家は初めてです。
しかも最高裁元長官が。


【学生さんは,まず刑法の先生に聞いて下さい。】
法学部の学生さんは,まずは横田喜三郎の名を伏せて,
先の私の例とかを,刑法の先生に言ってみて下さい。

100発100中
「貴方は罪刑法定主義というものをまるで理解していない」
「もう一度刑法の教科書を読んでから来て下さい」

と言われるでしょう。

刑法の先生からすると,
むしろ刑法の歴史を愚弄するもの,馬鹿されたと思うカタだっていらっしゃるかもしれません。


【自由な方】
横田喜三郎さんって,本当に自由ですね!

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