1256 反教育勅語の共産党どもは,日本の「恩」の思想を知らないグローバリストの思想だ。

本日2017年3月10日の おはよう寺ちゃん活動中
ゲスト:施光恒さん
のご意見は,毎度毎度さすがだと思います。

正しい意味での郷土愛や愛国心,地域コミュニティーを大事にする心が表れております。

      教育勅語等と地域社会への恩の思想と,政府の積極的関わりなど

      (今回は施さんのテーマは一貫していますので,全部聞いて欲しいですが,
      特に,26分27秒~からエンデングのまとめまで

実際に生の言葉を聞いて欲しいですが,
「教育勅語は普遍的な内容なので,全然問題はないが,
それで教育が事足りるのではない。」

「例えば,今のエリート層,言ってみれば,パナマ文書に出てくるような人達は
グローバリストであり,地域社会の恩を多大に受けながら,
それをなんとも思わない方々ではないか。」

「ヤマト宅配便が,昨年度よりもAmazon等の荷物が3倍増になったのに
逆に収益が8%程度減益になるという事態は,
まさに(グローバリストによる?)配達員さんが努力しても報われない事態が発生しているが,幾ら子ども達に道徳教育するといっても,
そして教育勅語の尊い内容は理解するとしても,
このような報われない社会にしていたら,国家が子ども達に詐欺をしていることになる
。」

「教育にせよ,宅配業者への不当廉価配達のお仕着せ等,社会における一定の基本的枠組みは,国が調整していかねばならない。」

「そうした中で,今の日本に失われてしまったのは「恩」という概念ではないか。
川合貞一さんの「恩の思想」のような考え方が必要だと思う。」
恩の思想(昭和18年・川合貞一著)

    確かに寺ちゃんも言っていましたように,
    子どもに道徳心,道徳心と言ったって,
    「お前もな」と言い返されるだけである。

    また,Amazon等は,さすがグローバリスト,日本という地域で恩恵を受けながら,
    結局,日本のことは何も考えていない。

    こんなのは迷惑だ。


【グローバル企業は,国という概念がない,「エリアのみ」】
グローバリストは,自国という概念を持たないから,責任感がないというのは有名な話しで,マクマートリー著「病める資本主義」に書かれています。

「ある国籍の企業は他国では,自国で持つような責任を持つ意思がない」という控えめな表現だったと思いますが,はっきり言って,
本当のグローバリストは,伝統的にも,実際的にも祖国をそもそも持たない
忠誠心等があるはずも何もない,あるのはお金のみ。
ただ自分の金儲けに便利なエリアをその時々で選ぶだけ。

その「エリア」すなわち対象国の国民が,おかしさに気づいて強い規制をかけるようになり,傍若無人の振る舞いがもはや許されなくなると
その「エリア」からサイナラして,他の「エリア」を探すのみ。

最初から国民のための独裁国家があれば,そこに戦争を仕掛けて,政府を転覆させたり
少なくとも国営企業の民営化を推し進めさせて,その国富の莫大なる蓄積としての旧国営企業を乗っ取り,ぼろ儲け。

    ある特定民族について言うと,その聖典には選民思想があって,
    他の民族はすべて殺傷したり奴隷にしてもよいという説明もあるほどです。
    「動物がある山に沢山生息していたとしても,人間様がその土地に到達したときは,そこの動物は,撃ち殺したりして排除したりする。」
    「他の民族は,神に選ばれた我々とは違って,単に劣った野獣なのだから,ご主人様たる我々がきたら,排除されたり,利用されるのは当然のこと」

    そんなの比喩でしょ?というのは簡単ですが,
    実際に,他国の政府転覆や収奪,殺戮は,大航海時代が可能になった後の,それもここ100年200年の僅かな間に次々に起こっていますよね。
    余りにもむごい仕打ちが起こっています。

なお,共産主義も,インターナショナルと言われるように,国境の観念がありません。
そして,粛清は半端ないです。


【共産主義に「恩」思想はない】
共産主義も「恩」という思想はありません。

戦前の大民法学者我妻栄も,優秀すぎてGHQの手下にはなれなかったのか,最高裁入りはありませんでした。
その気骨ある我妻は,
「労働運動が激しくなりすぎると,労使共倒れになってしまう。
お互いに信義誠実の原則をもって,協調し合う必要がある」と,
日本の伝統的な恩等の観念を,うまく西洋的に言い直しています。

そうです。共産主義に恩の思想なんてあるはずがないのです。
破壊主義ですから。

    かといって,資本家のやりたい放題ではないのです。
    前記我妻先生はまさにそうでした。

    そして,戦後に確立された日本の社会政策という学問体系でもきちんと述べられています。
    「労働者保護政策は,資本主義制度の維持のためにある。」
    「というのは,個々の資本家が好き勝手やった結果,労働者を食いつくしていけば,
    短期的にはともかく,長期的には労働力がなくなり,資本主義そのものが維持できなくなる。」
    「このように,労働者の保護育成は,資本主義の継続のためにある」

    戦後まもなくできた当時の社会政策の教科書にはそう書いてあり
    これも形を変えた日本の「恩」思想による協調精神を言い換えたものと思います。


【なぜ,当たり前の協調精神が破壊されたか】
しかし,この当たり前の思想,協調的な発想がなぜできないのでしょうか。

その答えは,それがグローバリスムだからです。
国家という枠組み,民族という枠組みを取っ払っているからです。

これは,単に空間的な枠組みを取っ払うだけではありません。
時間的制約やその負担感(未来への約束による拘束感)をも取っ払うのです。

だって,他の国の国民や民族を滅ぼすことになんとも思わず,
そこやその民族が利用できなければ,余所に移れば良いと思う方々が,どうして協調なんてあるでしょう。
その国民の将来をも考える,なんてことがどうしてあるでしょう。

「私は,犬やネコ,家畜と協調したりしない。不用になれば廃棄するだけだ」
と言われるのがオチではないか。


【壊したい人達には,中庸は邪魔】
教育勅語に話を戻すと,普遍的で中庸のとれたすぐれた考え方であっても,
革命を起こしたり,政府を転覆したり,民族破壊工作を仕掛けたい発想を持つ人間や,
それからスポンサーを受けている人間には,邪魔で邪魔で仕方ないということです。

普通の国民にとって,前記民族の選民思想が厄介なように,
逆に選民思想グループからしても,教育勅語のような中庸の執れた考え方は邪魔なのですね。

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