1082 佐藤幸治憲法学者の「徹底した相対主義」は不徹底。その原点は東京裁判・八月革命・ポツダム宣言万歳

佐藤幸治憲法学者の憲法(青林書院)は,司法試験の受験教科書に事実上なったこともあって馬鹿売れしました。
我々司法試験受験組は20回は通読しています。
部分的には50回以上だと思います。

そのはしがきによれば,彼は「徹底した相対主義」に立つと明言されています。


【無の境地に至る厳しい修行態度では全然ない】
私は,学生当時,徹底した相対主義」とはこのようなものかと思っていました。

中国や日本の古来の厳しい仏教修行等の考え方として,
「引き破り,引き破り,引き破ろうとする心をも引き破り」があります。
無の境地です。
そのくらいまで徹底して,固定観念等を打破して,自己改革と精進をはかる修行態度です。
何処まで行っても自己改革や精進・成長には終わりがない。

道元禅師は言われましたよね
「百尺(30メートル)の竿の端までよじ登った上に,更にその先に進もうとしてそこで手を離して身を前に投げるくらいの覚悟が修行には必要だ。」と。

佐藤幸治先生は,もちろんそんな立派な覚悟や哲学等に根ざすものではありません。

私は,先生を買いかぶりすぎていました。


【全然徹底していない】
相対主義とは,実は,単に進歩主義や革新主義と同じ根を持つリベラルの観念にすぎません。

相対とは,絶対に対する観念です。ただそれだけです。

そして絶対とは,神がその典型例ですが,
相対主義者による攻撃目標は,結局対象国の持つ固有の歴史や価値観等になります。
(自らを相対化したり,軸足を動かす考えではありません。他人を動かしたいだけです。)

    要は,永続した歴史や伝統,文化等の基本的な価値観・習慣等からの相対化(=克服・打倒)を意味するだけの話です。

    天皇制,日の丸,君が代等に象徴される,2676年の日本固有の歴史や文化等を貶めて,別の価値観に置き換え,上書きすることにほかならないのです。

    端的に言えば,各国の伝統を破壊する立場です。
    それが相対主義であり,進歩主義だ,というのです。

    結局のところ,グローバリズムにほかなりません。
    →後注)

グローバリズムにより,その国の固有の歴史伝統文化を壊すことに主眼があります。

「それ(古来の伝統)ももちろん良いけど,私達の新しい価値観も良いよね。
どっちも良いよね,人それぞれだよね。お互いの意見は皆大事だよね」
という,お茶飲み話の雑談では決して済まさないのが彼らの立場です。
それでは絶対に済まさないのが相対主義です。

こんなのが相対主義なの?と,良識ある日本人なら誰もが思いますが,それが彼らなんです。
耳障りのよい格好良いことを言って,むしろその真逆をやっていると思えばよいかと思います。
ex.ある遊技産業の巨額ロビー献金を受け,外国人差別撤廃・参政権付与を,ときれい事を言う類。


【佐藤幸治先生の矛盾】
相対主義を掲げる佐藤幸治先生。
彼の矛盾はこんなところに出てきているように思います。

    彼は,国会中心主義を掲げ,唯一の立法機関としての国会優位の原則を詳論しています。行政権に対する立法権の優位です。国会の復権を強く願う立場です。
    その上で,生存権(生活保護)については,具体的権利説(受給者の請求権肯定説)はとっておらず,国の立法による具体化が必要であり,国の財政規律との関連性も否定していません。

    ところが,厚生省の社会局長の単なる通知一本で,移民等に生活保護を認めたことにつき,
    大いに賛成し,しまいには「だって可哀想だろ」等の感傷的言いまわしで肯定しています。国の立法が必要であることは全く言及しません。
    同様に,反日民族教育を行う学校への財政支援については,憲法学者としての意見は一言も言及せず,完全にスルーしています。

    そのほかにも,彼は,
    ハーグ陸戦協定違反のポツダム宣言を殊の外ありがたがり(日本の「民主化」を目指した正当性があるぅっっっ!!てか。),八月革命説を擁護,もって東京裁判史観も肯定する結果になっています。

    更に,「戦争は最大の人権侵害だ」として,結局日本が他国で最大の人権侵害を繰り返したかの言いまわし(結局東京裁判史観)をしているのに,他国の国策による拉致という人権侵害については何一つ触れません。
    もちろん,日本が米国の性悪ルーズベルト政権(スターリンのソ連共産党とズブズブの政権)によって追い詰められて宣戦布告にするよりほかに道がなかったことも,かつて長い間触れては来られませんでした。


【相対主義とは,歴史レッテル貼りの上での歴史不訂正主義】
このように,相対主義とは,日本では,→後注2)
東京裁判史観やポツダム宣言等のGHQ占領政策を神と仰ぐ主義です。
戦後レジーム万歳主義です。

歴史固定主義です。
歴史不訂正主義,歴史見直否定主義です。

しかも最初に極めて問題のあるレッテル貼りをしておいて,見直すな,と言うので,一層問題なのです。

    我々良識ある日本人が想像する「相対主義」
    つまりどんなものにも安住せず,偏見や固定観念を持たずに,
    ゼロベースで徹底検証していくという立場ではありません。

    もし我々の想像する相対主義のとおりであるなら,東京裁判,ポツダム宣言,そしてGHQの占領政策というものもきちんと検証されなければなりません。

    それを絶対にさせないのが,佐藤先生の言う「徹底した相対主義」だと思います。
    「徹底した歴史固定主義」にしか見えませんが。。。

道元禅師が草場の陰で嘆いておられるかもしれません。


【参考】

(50分54秒辺り~)

いわゆる「相対主義」批判の必読書
日本でも同様なことがひき起こされています。
なお,前記はしがきの書きぶりからして,おそらくこの全米ベストセラー本を読んでもなお,「私は徹底した相対主義に立つ」ことを宣言したくだりではなかったかと私は思います。
当時の日本の流行(「朝日・岩波・進歩的文化人」)には敏感だったのでしょうか。


    後注)
    確かに,ある国の文化や伝統は,他の国の人には直ぐには受け入れにくいこともあるでしょう。
    他国の文化には慣れていないのです。

    ただ,それを他国の目から「差別だ」という物差しで,滅多切りにするという考えはどうでしょうか。
    国連の勧告でそんなのが多いですよね。

    そんな押しつけは内政干渉だし,そもそも間違っています。

    新しい視点や考え方を持つことは誰も否定しないはずです。
    問題なのは,それでもって,各国の伝統や歴史を破壊しようとすることです。


    後注2)
    いちおう参考までに言いますと,ドイツでは,こうです。
    ナチスドイツは600万人のユダヤ人を殺した。
    スターリンは1億人も自国民らを粛清した。

    でも,ドイツでは,
    「ヒトラーとスターリンを比べてはいけない」
    「ナチスドイツは,比較の許されない絶対悪なのだ」
    と。

    スターリンよりはましとはいえ,600万人のジェノサイドが許されるはずもないのは当然ですが,
    ただ,スターリンとの比較は絶対に許さないとの立場は科学的ではないし,真の学問的態度ではないと思います。

    況んや東京裁判を神と仰ぐ憲法学者は科学的ではありません。

    少しも徹底していないと思います。

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