982 外国人の生活保護,昭和29年厚生省局長「通知」と佐藤幸治は,相互主義の観点が欠落している

外国人の生活保護の権利性については,
最高裁でも明確にこれを否定しているのですが,
ただただ,昭和29年厚生省社会局長の通達にも満たない通知が,大いに幅をきかせています。
・・・・元々暫定措置の通達なのに。

そこで通達と,その疑義を巡っての問答集を見てみましょう。
→PDF「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」

私が注目するのは,質疑の第6問です。

    問6 法の準用による保護は,国民に対する法の適用による保護と如何なる相違があるか。
    (答) 外国人に対する保護は,これを法律上の権利として保障したものではなく,単に一方的な行政措置によって行うもの。
    従って生活に困窮する外国人は,法を準用した措置により利益を受けるが,権利としてこれらの保護の措置を請求することはできない。
    日本国民には,法による保護を法律上の権利として保障しているから,
    保護を受ける権利が侵害された場合にはこれを排除する途(不服申立)が開かれているが,
    外国人は不服の申立をすることはできない。
    なお,保護の内容等については,別段取扱上の差等をつけるべきではない。

通達では,本文に加え,ここでも,重ねて,
「外国人の当然の権利ではない。日本国民とは厳然とした区別がある。」
としています。


ただ,不思議なのは,にもかかわらず,支給する場合には日本人と差異を設けるなと。

私には,何故?と思いました。
もともと,通達本文のとおり,暫定的な措置の通達ではないか。
どうしても緊急の場合に外国人に特例として,権利ではないが生活保護を支給するのはよい。
しかしそれでも,応急措置であること,例外であることを強く意識した運用をしなければならない。

    日本人とどうして同じ水準でなければならないのか
    特例なのだから,例外措置・応急措置なのだから,
    日本人よりももっと工夫して切り詰めてくれ,でよいではないか。


【相互主義を求めるべきでは?】
とある外国の国の民から日本で生活保護の申請があった時,
日本人がまさにその外国で生活保護を受けられるかをまずは検討するのが,政府のみならず,普通の法律家の考え方です。
これを相互主義と言います。

日本が,例えば隣国で絶対に生活保護を受けられないのに,
その隣国人に生活保護を認めるのはおかしい。
しかも元々は暫定期間の措置だったのだから,いつまでもずるずる認めるのはおかしい。

仮にそれをひとまず置くとしても,相互主義が適用にならない外国に対してであれば,
前記質問6の回答のように保護内容に差異を設けるべきでないことにはならないはずだ。

そもそも昭和29年「通知」には,相互主義の観点が欠落している。


【憲法学者佐藤幸治の考え】
佐藤幸治憲法第三版420ないし422頁によれば,

    1「生存権については,その保障は各人の属するそれぞれの国の責務であるとの考え方の下に,外国人の享有主体性を否定する見解が通説・判例」
    だとした上で最近の学説を紹介し,最後に以下のとおり解釈論を展開されている。

    2①「生活保護については,昭和29年の厚生省社会局長通知に基づき,『国民』に対して最低限度の生活を保障する旨定めた生活保護法1条により,『外国人は法の適用対象とならないのであるが,当分の問,生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて』必要と認める保護を行なってきた。」
    ②「因みに,例えば,緊急の医療扶助について,外国人であるからという理由で扶助の対象とならないとするのは困難であろう。」
    ③「他方,各種社会保障制度の中には,外国人の取扱い方について立法政策的に決定することが許されるものも少なくないであろう。」

まず2②は,余りにも当然のことで,
このようなことを張り切って述べるような話しではない。
そのような緊急措置を一々反対する日本国民はいない。
人道主義は,佐藤幸治に言われるまでもなく元々日本人のお家芸だ。

やはり検討すべきは,2③の部分で,
佐藤幸治は,国が立法政策で決めたらよいと,外国人の生活保護に前向きのご様子だ。
→後注)

しかし私は,彼とは逆に,あくまでも相互主義を下敷きにすべきと思うので,
相互主義が成立していないある外国との間では,
日本国民に不公平になるので(外国で,そして日本国内で)

前記「通知」の質疑6問の末尾の部分は,むしろ逆に
せめて,日本人よりも保護の内容を下げておくべきだと思う。

そして入管手続との連携を図り,本国に送還できるようにしておくべきだろう。


    後注)
    佐藤幸治といえど,生存権の法的性格につき,具体的権利説に立っているわけではない。
    もちろん,財源の問題も,自説の展開の中ではないにせよ,
    当然触れている。

    そして,佐藤幸治の別著(=新著)「日本国憲法論」(成文堂)365頁には
    「生存権の場合は財政立憲主義の問題が存するが」と明記している。

    財源に限りがあることを前提に,抽象的権利説=具体的な立法措置が必要との考えに立ったとき,
    なぜ外国人の生活保護についてだけは,これを忘れ去られるのか,
    もっと言えば,厳しい財政難の中にあって,何故国際法上当然の「相互主義」の言及がないのか,
    換言すれば,なぜ,他国で日本人が生活保護を受けうるのかについて言及がないのか,
    まさに片手落ちと言ってよい。

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