888 改憲 国家権力に対抗する立憲主義(=人権保障)憲法 他国国家権力による人権侵害を防げない矛盾

私らはもう30年近く前の司法試験生ですが,
そのころでは,既に憲法97条は,場所を間違った条文ではないとか,
11条と決して重複ではない,無駄な規定ではないとの見解が通説でした。

でも,後に紹介するYouTube動画を見て,
今,改めて読み直すと,どう見ても重複です。
内閣法制局という立法のプロ集団であればもちろん,
我々法律家が法律案を作ったり,契約書の条項を起草するときでも,
こんな馬鹿な書き方はしません。

百歩譲っても,引用というやり方もあるのです。

    日本国憲法
    第11条  国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。

    第97条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。



【重複条文が加えられた経緯は滑稽に過ぎる】
しかし憲法制定過程を見ると,滑稽な姿が見えてきます。
若いYouTuberが,法律の素人なのに鋭い指摘をされました。

宮澤俊義先生は,今や問題のある人と言われ方をしていますが,
実際に憲法制定過程に関わった人であるだけに,
さすがに無駄なものは無駄だと正直に言ったのだと思います。
っていうか,それほどに重要な人権だからこそ重ねて規定したなどとの事実誤認は,実際に関わった者は,恥ずかしくて言えなかったのだと思います。

    慰安婦問題も,日韓条約の頃には,恥ずかしくて言える話ではなかったのに
    後になればなるほど,20万人の性奴隷があったとか,中国まで悪のりしてウチも20万人の性奴隷にされたと突然言い出す仕組みと一緒です。
    時代が下ると,人は自由になれるのです。



【実は憲法第十章そのものが不要だった!?】
実は,小林直樹東大憲法教授の大著「憲法講義 下」の498頁には,そもそも憲法第十章そのものが,必要不可欠とはいえないとの、制定当時の意見を引用しています。

制定当時,法条文の作り方からして、97条を含む,憲法第十章そのものが不要だとされていたことが分かります。

しかし,戦後生まれの憲法学者らが増えるに付け,新しい意味付けを開始したようです。


【人権・立憲主義といいつつ,他国の国家権力に太刀打ちできない大矛盾】
学者さんが,何を言おうと勝手ですが,
ただ,11条と97条を重複じゃない,それほど重要だから二度規定したのだ,とするなら,何故,それほどに重要な人権を他国の侵略から守る国防の規定がないのでしょう。

人権規定は国家権力を縛るためのものという立憲主義は大いに理解するが,
しかし外国の国家権力による侵害を何故憲法が対抗できないのか

立憲民主主義を大いに擁護する立場としては,(放送禁止用語で)方手落ちではないか。
→後注)


    後注)
    もっと言うと,ある一法律の正しさを検証するときは,
    立法事実(立法の必要を根拠付ける背景事情)を検討せよと憲法学者は声高に仰います。ページを割いて大きく論じます。

    そうであれば,なぜ国防規定が廃止された経緯や背景-GHQの占領政策上の必要から武装解除が要請された等-については黙っているのでしょう。

    11条と97条を重複して規定することになった事実経緯をなぜ割愛するのでしょうか。

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