886 保育園建設への住民苦情問題 住民は法的にも道徳的にも勝ち目なし

このような結論がわかりきった問題を,
テレビでもYouTubeでもよく論じるなと思います。

政治家は,選挙で票を得る人気取りの要素があるから,仕方ないかもしれないが,
行政はお役人,法律家の端くれなのだから,ちゃんとして欲しいと思います。


しかし,保育園でこの様であれば,
およそどんなことだっていちゃもんは付けられることになる。

    保育園の営業時間はさほど長くない。
    しかも、前回の述べたとおり,
    保育園はお昼寝だってあるから,煩い時間帯は短い部類だ。

    これで駄目なら,早い話,学校は,極例外を除いて全部アウトだ。
    中学高校は,生徒達がクラブ活動をしていて,煩く,また夜も明るい。
    登下校には生徒が溢れて,煩わしいことだらけだ。

    朝,息を切って駆けてくる可愛らしい保育園児でも忌々しいなら,
    中学高校生なんて,うざくて仕方がないはずだ。


【法的にも道徳的にも勝ち目がない】
私は,法律と常識や道徳との乖離問題には興味がある。

法律家であるから法律を振りかざしたいのではなく,
むしろ法律の限界や道徳の限界,そして両方の相克関係を見ておきたいと思うのです。

    ですから,例えば,
    ①かつてモラル・ハラスメントも繰り返し検討を加えました。
    法的には裁判所が絶対にお認めにならない悪巧みなのに,
    道徳を責め道具に使えば,同じ悪しき目的を達成することが出来るのは如何にもおかしい。

    また逆に②パナマ文書・タックスヘイブン問題のように,
    法律の抜け穴を,弁護士や銀行家が血眼になって探して,
    情報を隠蔽するやり方で租税回避をするのは,
    ぎりぎり法には違反しないことであっても,
    道徳的倫理的に許されるはずがない。

    そうした中でも政治家は,国民に納税を求める存在であるし,
    銀行家は,かつて税金により多大な公的支援を受けた存在である。
    弁護士だって弁護士倫理規程による縛りもある。
    少なくとも彼ら自身がする場合には許されるはずがない。

    ②は,仮に違法ではないとしても,大いに国民的議論をして,
    法律に適時的に反映させる仕組みを構築する必要があるのであり,
    その意味で,違法でなくても大事な問題となると思います。



ところが,保育園建設問題は,
法的には全然可能である,住民が裁判所に停止や妨害予防を求めても、およそ通る話ではない。
住民は法律的には間違っている。

のみならず,道徳的にみても,
住民達の方が筋が通らないと言われるはずだ。
無邪気で元気な子ども時代は皆通過してきた話だ。
自分は許されたのに,今の子どもには認めない態度は心が狭すぎる。

    老後のために土地を買ったと言う方は、例えば、
    自分の子はもう大きいとしても、孫たちは何処かの保育園の世話になってはいないのか?
    →後注)

要するに,法的・道徳的に全然筋違いの話だ。

私ども法律家からすれば,この例で
住民の意見と行政側の意見を平等に並べることすら,躊躇される話だ。

    老後静かに暮らしたいと思い,
    なけなしのお金を出して,土地を買い家を建てたのに,
    その隣に保育園がやってきたら,たまらないことではないか
    という方がある。

    しかし,土地や家屋の資産価値が下がったというのであれば
    法的な問題提起して訴訟でもすればよいが,
    保育園如きでそのような損失補償を裁判所が認めるはずがない。

    また,ただ単に心情的に困るという主張であれば,
    「そんなのは考えすぎだよ」ということのほか,
    「心情的に困るのは,そもそも土地を買ったあなただけではない。
    待機児童を抱える親だって同様だし,
    そもそも子どもは教育を受けたいとの思い(権利は当然)がある。」

    少子高齢化を防がなければと思うのは国ばかりではなく,
    次世代の国民が心配になることだ。



このような,法的にも道徳的にも筋違いで,
生活環境整備における他の問題に比べて初歩的なものにすぎないのに,
住民の心情をとにかく優先しなければならないことであるかの
論法・論評は,全くもって理解に苦しむことである。
→後注2)

そもそも日本中何処を探したって,自分の思い通りになる場所なんてない。



法的には,どんな手段を選択されてもまず通らない,
道徳的にも考えが少し狭い。
心情的にも,関係者のそれらを比較しても,結局甲乙付けがたい。

世の中には,前記のとおり,悩ましい問題が余りにも多い中で
個人の心情を取り上げてばかりいたら切りがない。

行政は,裁判所を通してでもきっちりお墨付きを貰えばそれで足りることだと思う。

    後注)
    もっと言えば、さらに老後、老人ホームに入ると、常に他の老人が大勢いるが、
    それもおかしいと言わざるを得なくならないか。
    結局、きりがなくなるのではないか?


    後注2)
    私は,日照権を求める既存のマンションの住民達が
    その南側に新しく高層マンションが建てられるのを嫌がって
    裁判を提訴したのを経験したことがある。

    しかし、自分達のマンションは,その北側の土地の住民達の日照を平気で奪っていたりするのだ。

    しかも,保育園建設抗議問題は,こうした日照権の問題よりも更に法的には認められないはずだ。
    もちろん道徳的にも,だ。

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