874 弁護士の説明責任義務問題 全力疾走してもなお野手の間に落ちるボールのよう

説明義務の問題は,実はかなり難しい。

何も言わないような昔ながらの方はもちろん論外で別です。
つまり,昔は,説明義務は,果たしたか果たさなかったかが分かりやすい,
要は,オールオアナシングだったかもしれません。

今では大抵は時間をかけて詳しく説明している。
昔以上に,今は通信手段は多い。電話,携帯電話,Fax,メール,ショートメール,ライン・・・・。
(昔は,固定電話しかなく,しかも事務所のそれしか教えないのが通例だったと聞く。)
今は,随時精一杯説明はしているのだけれども,
結果としてみると奏功していないということが実はあるという問題です。


ちょうど野手の間に落ちるポテンヒット,
各野手がボールに向かって全力疾走しても,その間に意地悪く落ちる球のよう。

決して怠けているわけではない,
むしろ全力疾走して球を追いかけるように,精一杯の説明を費やしている。
でも,ポテンヒットは起こってしまう。

説明側と聞き手側の間にぽとんと球が落ちてしまう不幸が起こるのだ。


【実は専門外なら,同様の立場を経験するはず】
弁護士だって,司法書士だって,その余のあらゆる分野の専門家であっても,
自分の専門とは別の世界に身を置いて逆の説明を受ける立場になると,
その分野に関しては素人だから,多くの説明を受けてもなお分からないことはやはりある。

専門外のことであると,たとい1,2時間もの説明を受けて,
しかも質問も出して,その誠実回答を聞いてもなお,すっかり分かるとは限らない。
たった1つの(当然の?)知識が,説明の受け手にたまたま(?)ないために,各説明と説明が有機的につながらないことだってあるのだ。
それは,もちろん説明を受ける人間の理解力や知識の多寡,ひいては説明を聞いた時の体調等によっても変わってくる。
だから間に落ちるポテンヒットと言ったのだ。

あるいは,言われたことを後で思い出したり,後でそのことと別の説明がつながったりすることもある。

    この意味は,説明の受け手がつい失念した,ある既説明事実が存在したりもする一方,
    説明側は既説明事実を前提に次の説明をしているとの不幸な乖離現象もあるということだ。



【そうそう単純な話ではない】
「説明義務がーっ!」と言うのは,実に簡単だ。

ただ,本当に何も説明していないのであればともかく,  →後注)
説明をそれなりに費やしてくれている場合には,
そうそう問題は簡単ではないことは注意が必要だ。

時間をかけた面談のほか,現に前記各種の通信手段でもやりとりしていたりするのだから。


【社会的弱者の特権ではない】
実は,説明義務を求めるのは,社会的な弱者の特権ではない。むしろ一般的な話です。
→後注2)

前記のとおり,弁護士のみならず,裁判官,高級官僚,高学歴の医者,およそ誰だって,自分の専門外の領域でなら,それを言いたくなる場合も実はあるはずなのです。
学歴が一応あったり,一定の地位があれば説明義務を求めてはならないという理屈ではないわけです。


【「黙って座ればぴたりとあたる」,はない】
その上で,いうまでもないことですが,
その道の専門家といえども,「黙って座ればぴたりと当たる」ということはない。
神でも仏でもないのはもちろん,ユリゲラーや宜保愛子ですらない。
依頼側の事情はむしろ分からないことの方がよほど多い。

説明を受ける側も,専門家が間違わないように自分の置かれた事情を包み隠さず打ち明けたりしなければならない。(契約における信義則)
もし頼んだ専門家が前提事情を誤解しないようにと,積極的かつ出来る限り正確に打ち明ければ,相互理解はよほど深まるし,実際そうしたお客様も相当に多い。  →後注3)



【それでもポテンヒットは起こる】
ただ,以上の点をお互いに気をつけてもなお,事件は小説よりも奇なり

やはり頑張っても頑張っても,野球同様,ポテンヒットはなくならないのではないか。

    後注)
    例えば,ネットオークションで,中古品であるとはいえ(=現状引渡とならざるを得ない),
    それなりに高額のものなのに,
    写真をやたら暗くして比較的大きなキズのある箇所ですらもちゃんと写真撮影してアップせず,
    むしろそれが見えにくい角度,遠目での写真をアップしたりするのは,
    そもそも不利益事実の説明をわざとしなかった,つまり
    重要事項の説明がなかったと言えるのかもしれません。

    ただ,そうした古典的な典型事例のようなものばかりだと考えるのは早計に過ぎますし,
    ひたすらそうしたレッテル貼りをされると,どんな人でも商売はもうできません。

    私もされて?分かりましたが,
    例えば1人の担当者を相手に,とことん説明を求めるために5000問でも10000問でも次々に質問したらどうなるか。
    誰だって音を上げて泣き出してしまうのではないでしょうか。
    しかもそれで他のお客様のために時間を取れないようにされると困ってしまうのです。

    説明とは,実は,それこそ何処までいっても果てしがないからです。


    後注2)
    説明義務を求めることのできる主体は,あくまでも社会的弱者だと限定・決めつけてしまうと,そこには間違いが生じます。

    弱者たる説明義務を求める側は,強者である専門家にひたすら100%完璧な説明を求めることができてしまうことになるからです。
    しかしそれは,本文に述べてきた関係性からしておよそ無理な話です。

    もしそうした要求が理論上可能なら,それこそ,日本全国津々浦々において,公務員連中に対し国家賠償請求の嵐が吹き荒れてもおかしくはないはずです。
    公務員こそが日本最大の強者です。


    後注3)
    裁判の世界の格言で,
    「事件当事者は事実を語れ,裁判官は法を語る」というのがある。

    弁護士でも,医者でも,専門家は,結局,これのとおりだと思う。
    先の裁判官もそうですが,弁護士や医師は神様でも何でも無い。生身の人間である。
    だから依頼側は,自分の持っている事実や事情を余すところなく専門家に開示しなければならない。
    専門家は,それを踏まえて専門的知見を当てはめ,その結果等を説明することになる。
    だから,依頼者は事実について嘘偽りや隠し事をしてはならない。

    もちろん,医者の場合は,今ならレントゲンやCTスキャン等によって,
    患者に聞かなくとも分かるところはあるし,逆に患者の方が体内の事とかは知りようがないこともある。
    しかしながら,それでも,患者が自分の病気等につき日々体験したことをできるだけ正確に説明しなければ,良い診療にはならない。

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