846 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と学問の自由が結びつくと,結構怖い

多くの論者が改憲の必要を訴えるようになりました。
最近では,多数の都道府県議会が改憲必要決議をしました。

中でもよく引き合いに出されるのが,
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の憲法前文です。
もはやつっこみどころ満載の規定とみなされるに至りました。
この危険な世界情勢ですので,もはや小さい子どもでもそのおかしさが分かります。


私は,法律家ですので,もう少し突っ込みます。
法律家は,他の条文との関係もみるのです。論理的関係をです。

ここで,注目して欲しいのは,23条の学問の自由です。

日本では,日本の大学教育では,余りにも当然の条文として説明されています。

しかし,実は,学問の自由を保障する憲法の例は少ないんだそうです。
というのも,思想良心の自由等でまかなえるから,そんな保障を特にする国は珍しいんだそうです。後注)

    そりゃあ,憲法学者は飯の種ですし,大学の教授ですので,学問の自由は褒め讃えますわ。
    でも,学者達が引き合いに出す事例としては,たいてい東大ポポロ事件くらいしかでてきません。
    仮にもっと掲げられている場合でも瀧川事件とか,美濃部達吉の天皇機関説事件くらいです。

    学問の自由の保障の規定をわざわざ憲法で設ける必要を語る上での問題事例としては,極めて貧相な事例です。
    常識的日本人からすると,はぁ?みたいな事件

実は,これを保障しているのはドイツくらいで
それも条件があって,政治的中立性を貫いている限りは,の限定があるというのです。

ドイツは,闘う民主制といって,自由と民主主義の敵には人権を与えないという断固とした決意があるからです。

少なくとも条文上野放図の学問の自由を認めているのは日本くらいです。

しかも,最高裁では否定されましたが,こんな条文が出来たばかりに,
大学教授でもない,単なる中学高校の先生までが,学問の自由だの教育の自由だのと,頑張って主張したのです。

    コミンテルンの別働隊としてのエドキンテルン日本支部によってできた,赤色組織:日教組が元気を持つきっかけになりました。
    こうした組織は英国では英国病をつくり,日本でも偏向教育を実施しました。

    なお,中高校教諭による教育の自由の有無は,学問の自由としてではなく,結局憲法26条の子どもの教育を受ける権利の規定に関して,議論されるべきこととされました。
    しかし最高裁は,その上でもなお,教職員や日教組については,これを認めていません。



【世界が,特に保障規定を設けていない実質的な理由】
世界各国が学問の自由を特に憲法で規定していないのは
私は常識的に言って当然だと思います。
どこの国でも,優秀な人材や研究者は大事です。
それで国が発展したり豊かになったりするからです。
大抵は優遇されています。
ノーベル賞級の学者なら,どこの国でも保護育成したいでしょう。

日本国民の幸福のために尽くそうと研究を重ねる学者を何故国が弾圧するのですか。?
そんな日本国民の幸せを願って研究し,成果を上げつつある人が,何故国による弾圧を恐れるのですか?
おかしいじゃないですか。

それが,表現の自由に加えて,思想良心の自由の保障規定があれば,学問の自由の保障の規定までは不要だとする実質的理由だと思います。
表現の自由と思想良心の自由すらないのであれば,せめて学問の自由だけでも
という理屈はあるのかもしれませんが。。。
案外,中国や北朝鮮は,後者のパターンに近いかもしれませんよ。彼らにとっても研究者は大事。



このように,見てくると
例のつっこみどころ満載の憲法前文と,屋上屋を重ねるかの「学問の自由」の保障規定の内的関連性が浮き彫りになってきます。

占領下に作られた憲法は,日本を武装解除するためのものです。
それが前文及び9条に記されているのです。
その上で,学者の立場を徹底的に保障して,
前文に言うところの,日本以外の「諸国民」のために日本を貶めるような活動をする学者さん達を取り締まることが出来ないようにしたのです。

これには異論もあるかもしれません。
しかし繰り返しますが,まずは,
改めて瀧川事件,天皇機関説事件,ポポロ事件等をみて下さい。
表現の自由及び思想良心の自由の規定の上に,さらにそうした治外法権的な特権を付与する理由が果たしてあるでしょうか。後注2)
そんなことを言い出したら,学者に限らず,何だって憲法で特別な保護の規定を設けなければならなくなり,憲法は何百条あっても足りないでしょう。
(現在は約100条)

そして,何よりも学問の自由の規定を設けたドイツですら,日本のように野放図ではないことに注意するべきでしょう。


要は,誰のための憲法なのか?
日本国民のためなのか,それとも,他の「諸国民」のためなのか
を,改めて問う必要があると思います。

前文と学問の自由の内的関連性について,です。


    後注)
    憲法ができた70年前,そもそも大学進学率は何%だったか。
    ほとんどが今の中学校しか出ていないといった有様だった。
    大学に行っても,学者になったりする人は更に少なかった。

    何故こんな極々一部の人のために,わざわざ特に憲法で規定するの,と普通はなるはず。
    圧倒的大多数の国民を差し置いて。
    だから,各国でも表現の自由や思想良心の自由でまかなえばよいとされてきたのだと思います。

    また逆にいえば,こんな中卒しかいない時勢に,かつ他国もほとんど保障していない学問の自由を
    憲法で敢えて特別に保障すること自体に,ある種特殊の戦略や思惑(継続的社会革命運動)があったものと思われます。

    後注2)
    刑法で,外患誘致罪という規定がありますが,
    大学に勤務する学者だけは,学問の自由や大学の自治に護られ,刑罰を受けないなんておかしいし,不公平です。

    憲法前文と学問の自由の規定を併せると,国家を転属して大多数の国民を脅威にさらす重罪でも
    刑罰を回避できるようにも読めてしまいます。

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