618 法律実務家曰く「学者の意見?,だから何?」

いまでもそうかもしれませんが,伝統的に
各地方の裁判所の本庁では,たいてい民事事件の判例研究会がありました。

それは,主に若手の民事担当裁判官達に加え,
その裁判所の所在地域の大学の大学院生以上の方が,1,2か月に1度程度集まって,一緒に裁判例の研究会をするのです。

    私の印象では,学者さん(のタマゴ)さん達は,何故か,実務家と勉強会を持ちたがる傾向にあったかの印象です。

うちら実務家からすると,
学者さんのたまごさんたちは,どうも象牙の塔にこもっているというか,
抽象的な議論をする方が多いのかな,
と感じました。
実際の訴訟の運営や具体的なことを知らないことも多かったし。
原理原則論が多く,ボキャブラリーや表現力も少なめ。

しかも同じ判例を議論していても
実務家は実務家の関心事を議論し,学者は学者なりの関心事を議論する,
いわば,同床異夢のような感覚に襲われることも多かったです。

やはり純粋理性の世界で逍遥する人達
事実は小説よりも奇なりの生の事実の世界で勝負する実務家とは,住む世界が違うのかと思ったものでした。


ところで,学者の存在意義について,ですが,
戦前・終戦直後ころの法律学や実務であれば,
我妻栄大先生や兼子一先生,田中耕太郎先生等の超ど級の先生がおり,その先生の学説がそのまま最高裁判例になることも希ではありませんでした。
最高裁が,とある大学者先生の教科書を一字一句違えずコピペをしたことすらありました。

その上,戦前ころの大学者さん達は,実際最高裁判事,それも最高裁長官にまでなっていました。

しかし,戦後しばらくすると,
学者の説は,裁判では使えないという考え方が主流になりました。

学者から最高裁判事になる方はいても最高裁長官にはなれない時代が到来して久しいです。
先にも述べましたが,事実は小説よりも奇なりの実務の世界では,極論すれば
「学者が実務から学ぶことは多いが,実務家が学説や純理研究から学ぶことは少ない」
といった印象です。

本当に不遜な言い方に聞こえると思いますが,
法律の実務家は,生き生きした,切れば血が出る裁判実務と裁判例は重視しますが,
学者の意見と聞くと,「何それ?」「だからどうしたの??」
というのが本音です。


吉田茂元首相は,かつてサンフランシスコ平和講話条約について
その対象国に中ソ等を全部その対象に含めよ,とする全面講和説を立てる学者達を
「曲学阿世の学者ども」と揶揄しました。

私ども実務家から言わせると,
法科大学院も,所詮先細り傾向の学者達を助けるのためであり,
実務の発展のため、国民のためではないと思います。

ついでに言えば,安保法制についての学者達の意見も,如何にも如何にもの,
マユツバに思ってしまいます。

    そうした学者さんたちの大先輩・先生の先生とすら言われる
    かの田中耕太郎元最高裁長官が草葉の陰で泣かれないかが心配です。

    砂川判決であれほど立派な補足意見を書いたというのに・・・・。

                    -byフローラ法律・岡崎 from 2013.3.24-

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