408 被疑者諸君!,辛いときほど親孝行だよ

国選弁護人をやっていて感じるのは,
罪を犯した人でも,親に見捨てられている人ばかりではないこと。

私は見捨てられた割合がかなり多いのかと思っていたら,必ずしもそうではない。
親との親和性の高い方もざっと半分くらいはいる。


今回の話は,親に見捨てられた人,身寄りのない犯罪被疑者のことではない。

例えば,貧しいながらも,親子の間が悪くない被疑者についてです。


そうした被疑者は,例えば親に甘えてばかりのだだっ子というわけでもないが,
要するに親孝行の気持ちがそもそも足りないのかな,と思う。

    その親は,子が犯罪を繰り返しても,面会も多く行ってくれる。
    弁償も。

    たとい終いに老齢のため足が悪くなっても,面会に来てくれる。

    被疑者との関係が悪いわけではない。
    子は親を慕っている。またその親にとっても,子はいくつになっても我が子なのだろう。

でも,どこか変だ。
なぜ,こんな親子なのに,子は罪を重ねるのだろう。


まず第1にいえることは,
悪いことをしたくなったとき,親の顔が浮かばないのだろうと思われる。

被疑者は,親との相性が悪くない以上,
その時もし母の顔が浮かべばしないだろうし,少なくとも罪を重ねることはできないはずだから。

第2に,では,何故,その時母の顔が思い浮かばないのでしょうか。

これは推察の域を出ませんが,
これまで親孝行をしようという気持ちがわかなかったからだと思う。
  
それは,依然として受動的のままだからだ。
小さい頃のまま,親は頼む相手と思っているから。

    例えば,親は加齢のため,足が悪いと知っているのに,
    何度も面会に来てくれるように,弁護人に伝えたりする。

    「(足の悪い親に負担を掛けずに,)感謝や反省の手紙を書けよ」というと
    「母は字が読めない」とのたまう。
    しかし手紙なんぞは誰かに読んでもらえばよいだけで,
    息子が書けば母親は喜ぶし,それこそいつまでも大事に取っておくだろう。

    要するに,そういった些細なことが分からない鈍感さがあるわけ。
    もっと言えば,親孝行をする気がわき上がってこないわけ。
    だから何をしたら親が喜ぶかが想像だにできない。

    しかも犯罪を繰り返すというのは,この親への負担を毎回強いているわけ。
    鈍感!

「何時までもあると思うな,親と金」とはよく言ったものだ。


思うに,人生誰だって辛いことはあるし,辛い時期はある。
むしろ人生は辛いことばかりかもしれない。

しかし,それでもどんなに辛いときでもいつも変わらない親切で接してくれる親がいるわけ。

そうであれば,辛い時ほど,やけになって悪さをしたくなる時ほど,
積極果敢に親孝行をしたらよいのではないか。
辛い現実や厳しい世間から顔を背けるようにしてでも。

    実は,多くの方はこれを実践しているんだと思う。
    それでおかしくなりかけている精神をギリギリのところで支えてきたんだと思う。

    親のために,と自分に言い聞かせて,やけを起こすのをやめた人は極めて多いと思う。
    自分が良い子だからじゃなく,むしろ(世間的には全く)良い子じゃないからだ。



ところが,こういう犯罪者の方は,親孝行をかつて積極的にしようと思うことがなかったんだと思う。
だから,辛いとき,悪さをしたくなった時,親の顔が浮かばない。
勾留されれば,相変わらず面会に来てもらうのみ(日常生活の延長にすぎない)。


親孝行は,親のためならず。
自分が辛いときほど,親孝行をしなければならないんだ。
親のためよりも自分のために。

                    -byフローラ法律・岡崎 from 2013.3.24-

カテゴリー:真の教育刑事問題弁護士

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