23 起訴状及び勾留状の二本主義?

起訴状一本主義(刑事訴訟法256条)は,刑事訴訟法の大原則です。
被告人への予断排除の要請です。
刑訴法280条(公訴の提起があった後第1回の公判期日までは、勾留に関する処分は、裁判官がこれを行う。)
も,公訴提起前の勾留の裁判は,公判審理をしない裁判官がすることになっていますが,同様の趣旨です。

もっとも,これは陪審員裁判のある米国の輸入品ですので,プロの職業裁判官には無用なことではないかとの批判や反省はありました。
ですから,280条の規定には,刑事訴訟規則167条による例外が設けられています。

また,以下の取扱は,日本全国の各裁判所で取扱が異なるのかもしれませんが,
私の見聞した部署では,公訴提起された公判裁判官の事件記録綴りの一番最後に,捜査官による勾留状が綴られていました
(勾留のための記録はもちろん綴られていません)。

あくまでも勾留状のみであれば,上記条文の趣旨には反しないという解釈に基づくものと思われます。
そもそも予断排除の原則は,公判の審理前に,その担当裁判官が,予め事件の実体について心証を得ることを防止するためにあり,勾留状が公判の事件記録に最初から綴られていても,そのようなおそれはないとの判断だったと思います。

かえって,前回の投稿の例のように,起訴状との違いを知るのは,悪いことではないと思います。もともとちゃんとしていなければいけないのが勾留状ですから。

また勾留状には,勾留中に実施された被疑者への簡易鑑定にまつわる記述があることもあり,事件の審理の予定や計画を知る材料にもなり得るわけです。審理展開の予測をすることと,予断とは別の話です。

私は,裁判官を裸の王様のようにするのが良いこととは思いません。

というのも,刑事事件は,民事事件風に言えば,証拠偏在も甚だしい事件類型なのです。
いや,そうだからこそ,起訴状一本主義は尊いと言われるのかもしれませんが。

しかし,裁判官が事件について(予め)何も知らないなら,検察官や警察にチェック機能を果たすことが期待できるのか,という素朴な疑問も出てこないでしょうか。

予断と偏見排除は当然であり,そんな事態はそもそも論外です。
ただ,真実発見をすることこそが裁判所の使命であり,そうだとすれば,捜査に対するチェックはある意味当然ともいえ,同チェックのためには,一定の情報も欲しいはずです。

そうした意味で,異論はあるかもしれませんが,私見では,少なくとも勾留状だけであれば,起訴状一本主義には反しないと思います。

                    -byフローラ法律・岡崎 from 2013.3.24-

カテゴリー:刑事問題

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中