4 裁判員裁判と公平な第三者の目

裁判員裁判は,未だに,国民の方,そして,弁護士らの法曹人にも反対の声が強いかもしれません。

ただ,私は,どんな形であれ,国民が司法に参加するのは,国や地方の政治に参加するのと同様に,価値があると思います。

立法であれ,行政であれ,司法であれ,お役人が,国民の目の行き届かないところで,何かをするのはよくないと思います。
彼らが如何に専門家としての訓練を受けていても,です。
専門馬鹿といいますか,国民には何のメリットもない自己満足の技術を駆使しているだけの場合もあります。
また現在進行形で見られていなければ,後で言われても,専門性で煙に巻こうとすることだって,ないわけではないはずです。

国民が現に見ているとなると,それこそ,警察や検察,弁護士,裁判所,全部変わります。

今回は弁護士という一方的な立場から言わせていただくと,
裁判員裁判に耐えられないような酷い捜査を行う検察官もときにですがやはり居るものです。
そうした場合,事件が裁判員裁判になって,国民から全部見られるとなると,やはり違いが出てきます。
本人もそうですし,その周囲(決済官の上司や同僚検察官)の態度も俄然違ってきます。

偉そうなこと言っていますが,弁護士も同じことです。

ここで,私の好きな一節を紹介したいと思います。
アダム・スミスは,その不朽の名著,道徳感情論でこう述べています。

「犯した罪や間違いの内容よりも,酷く重い刑罰が課されるとき,傍で見ている人々は,『この程度の罪でこれほどの酷い仕打ちがなされてよいものだろうか』と胸を痛め,おそれおののく。」
「反対に,犯した大きな罪に比して,著しく軽い取扱しか受けない被告人をみると,傍で見ている人々は,自分や身内が被害にあったわけでもないのに,無性に腹立たしさを覚える。」
「これこそが公平な第三者の目である。」

国民の目は,やはり確かだと思います。
どんなに優秀なお役人でも,これに取って代わることはできません。

                    -byフローラ法律・岡崎 from 2013.3.24-

カテゴリー:The Rule of Law

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